• 83年前に祖父が創業した児童書出版社を突然引き継ぐことになった『もしドラ』作家・岩崎夏海。
    何の興味もなかった社長業で、50余名のスタッフを率いながらドラッカーの教えはどう活きる!?


第五回  編集者とは何か、を考える


 編集者と一口にいっても、作る本の種類によって作業も異なり、それぞれいろいろな仕事をしなければならないのだが、大きな仕事の一つに「作家を口説く」というものがある。著者・作者がいる出版物を作る場合、作家を口説いて企画に乗ってもらわないと、そもそも仕事が始まらない。
 そして作家を口説くには「説得力」が必要となってくるのだが、それを有するにはまず「作家の個性を見極める」ところから始める必要がある。
 作家に限らずクリエイターというのは、およそ疑り深い人種である。なぜかというと、作家として成長する過程で必ず嫌な目に遭っているからだ。仕事相手に約束を反故にされたり自分の作品を貶されたりと、プライドを傷つけられる経験を幾度も重ねてきているのである。
 逆にいえば、そういう経験がなければひとかどのクリエイターにはなれない。クリエイターは、プライドを傷つけられるような経験を乗り越える中で、初めて強靱なクリエイティビティを獲得できるのだ。
 しかし彼らは、そこで同時に「疑り深さ」も身につけていく。特に、仕事のパートナーともいうべき編集者には、特別に疑り深い目を向ける。なぜなら、約束を破ったり作品を貶されたりなど、これまでプライドを傷つけられたのはたいてい編集者によってだからだ。いうなれば、クリエイターにとって一番の敵は編集者なのである。
 また、たとえプライドを傷つけられなかったとしても、仕事のパートナーである編集者に能力がなければ、せっかく時間と労力を割いて仕事をしたにもかかわらず、それが収入や経験につながらないという危険性もある。「やり損」ということがあるのだ。最悪の場合、編集者の道連れになって看板に傷がつくことさえある。
 だから、クリエイターは仕事のパートナーである編集者と相対するとき、二重三重に慎重にならなければならない。疑えるだけ疑う必要があるのだ。クリエイター自身も、編集者の力量を見極めていかなければならないのである。
 そういうことがあるから、クリエイターはまず編集者を疑ってかかっている。おかげで編集者は、その疑いの目をくぐり抜けて作家を説得する必要があるのだが、その際に必要とされるのが、前述した「その作家の個性を見極める」ということだ。
 編集者は、これについての「目利き」である必要があるだろう。通常以上に、作家の個性を見極められなければならない。それは、作家が今現在顕在化している個性はもちろんのこと、その作家の中に眠っている潜在能力さえ見極める必要があるということだ。
 クリエイターというものは、彼ら自身も自分の個性はたいてい把握している。何ができて何ができないかを、だいたいわかっている。
 しかしながら、《灯台下暗し》のたとえ通り、それは自分のことであるがゆえにわからないところもある。彼らも、自分を客観視できないところがある。それがあるから、彼らの中には「誰かに自分の中に眠っている能力を見極めてほしい」という願望がある。ゴルフのレッスンプロのレッスンを受けるプロゴルファーのように、「もっといいスイング、もっといいショットを引き出してもらいたい」と待望しているところがあるのだ。

 ところで、世の中には数多くの「コンサルタント」という人たちが存在するが、なぜ彼らのビジネスが成り立つかといえば、このロジックによるところが大きい。すなわち、人間は自分のことはえてしてわからないものだから、それを第三者に引き出してもらう必要があるのである。そのため、多くの経営者が経営コンサルタントを雇い、多くのプロゴルファーがレッスンプロを雇う。クリエイターも、編集者にそれと同じ役割を望む。作家にとってのコンサルタントやレッスンプロの役割を期待するのだ。
 そうである以上、編集者はクリエイターに堂々と物言いをしなければならない。雇い主に新たな経営方法を提示する経営コンサルタントや、プロゴルファーに新しいスイングをレクチャーするゴルフのレッスンプロのように、クライアントの知らない情報を提供する必要がある。
 だから、絵本の編集者の場合だったら、作家に新しい絵本の作り方を提案しなければならないのだ。あるいは、新しい絵の描き方を提案しなければならない。
 これは、大変おこがましいことでもあるが、それができなければ、編集者としての価値は大きく減退してしまう。その意味で、編集者というのはとても難しい仕事だ。絵のプロに向かって、新しい絵の描き方を提案しなければならないのである。
 そんなことが、ぼくに果たしてできるのだろうか?

 しかしこれについて、ぼくには大きなアドバンテージがあった。何かというと、それはぼくが東京芸大美術学部建築科を卒業しているということである。つまり、学生時代は絵の勉強を専門的にしていたのだ。
 またそれのみならず、ぼくの両親はともに東京芸大美術学部の出身(父は建築科、母はデザイン科)であった。その両親より、幼い頃から絵の手ほどきを受けていた。いうならば、美術の英才教育を受けていたのだ。それも、大きなアドバンテージの一つだった。
 ただ、そんなふうに美術についての有利な環境を有しながら、ぼくはなぜかそれとは無関係の作詞家である秋元康さんに憧れ、弟子になった。そんなふうに、人生とは往々にしてうまくいかないものだが、しかしなぜか今は、巡り巡って絵本の編集者としてイラストレーターさんと対峙している。つまり、生まれて初めて子どもの頃に受けた美術の英才教育が活かされるときがきたのだ。

 そうして、勇んでイラストレーターさんとの打ち合わせに臨んだ。ぼくのアシスタントのS女史が、三人のイラストレーターさんにアポイントを取ってくれていたので、彼らに会いに行ったのだ。

 最初にお目にかかったのは井筒啓之さんだった。
 井筒さんは、文字通り日本を代表するイラストレーターだ。現在、TISというイラストレーター団体の会長を務めている。
 井筒さんは、イラストの世界の幅広い分野で活躍されているが、そのうちの一つに「本の表紙や挿絵を描く」というお仕事がある。これは陳腐な言い方かもしれないが、彼は非常に「文学的な絵」を描く。そのため、小説と相性がいい。それもあって、小説の表紙や挿絵の仕事が多いのである。
 井筒さんの代表作の一つに、直木賞を受賞した浅田次郎さんの小説『鉄道員(ぽっぽや)』がある。あの雪を思わせる白いバックに佇む眼鏡をかけた老駅員の印象的な絵を描いたのが彼だ。
 そんな、イラスト界はもちろん出版界でも知らない人はいないという超大御所に、ぼくらはいきなり会いに行くことになった。井筒さんに会いに行くことになった経緯は、もともとぼくがS女史に「イラストレーターさんを探して」とお願いしたのが始まりだ。
 S女史は、ぼくの絵の好みを把握してくれていて、なおかつ趣味もよく似ている。だからというわけでもないが、彼女の眼力には全幅の信頼を寄せていた。それに、任せられる仕事は全部部下に任せるというのが、ドラッカーさんが唱えたマネジメントの鉄則だ。そこで、この仕事を彼女に一任したのである。
 するとS女史は、それに応えていきなり大きな魚を釣り上げた。ぼくは、鯵や、よくて鯛くらいを待っていたのだが、なぜか彼女はカジキマグロを針に引っ掛けたのである。おかげで、釣り上げられるかどうかより、船が転覆しないかどうかの方が心配になるくらいだった。

 S女史が井筒さんに頼んだ詳しい経緯はこうである。彼女はインターネットに詳しいのだが、世界で最も使われているイラストサイトの一つにBehanceというものがある。PhotoshopやIllustratorなどを作ったアドビが運営しているのだが、そこには海外はもちろん日本のイラストレーターも多数作品をアップしている。
 井筒さんも作品をアップしていた。S女史は、そこを閲覧しているときにたまたま井筒さんの作品に目を留め、気軽に依頼のメールを送ったのである。そうしたところ、井筒さんから「会って話を聞いてもいい」とのお返事をいただいたのだ。
 それを聞いたとき、ぼくは唖然とした。
「なんと、よりにもよってそんなお手軽な方法で、あの井筒さんとお会いすることができるなんて……」
 そして、これはさすがに荷が重いのではないかと悩んだ。頼むなら、もう少し気軽に頼める、若い、名のない人の方がいいのではないだろうか?
 しかし、こんなところで挫けるわけにはいかなかった。編集者を始めた以上は、日本で一番、いや世界で一番の絵本を作るくらいの覚悟がなければやっていけないだろう。そして世界で一番の絵本を作ろうと思ったら、イラストレーターの大御所は避けては通れない。いつかは必ずぶつからなければならない。それなら早いに越したことはない。ここを乗り越えられなければ、そもそも世界一の絵本など作れない!
 そう腹をくくって、ぼくは勇躍、というよりおそるおそる、井筒さんに会いに行った。

 井筒さんは、都心のマンションにアトリエをお持ちだった。ぼくとS女史は、アポイントを取るとそのアトリエへ二人で乗り込んだ。
 マンションの玄関を入ると、オートロックのホールがある。ぼくは、このオートロックというのが緊張してしまって苦手なのでS女史にピンポンしてもらうと、どなたかがお出になって、やがてホールのドアが開いた。そこからマンションのロビーを抜け、エレベーターに乗って目的の階に着くと、そこからさらに廊下を進んで、井筒さんのアトリエがある部屋の前に到着し、そこでまたS女史がピンポンを鳴らした。
 すると、ドアがガチャリと音を立てて開いた。そして、井筒さんが出迎えてくださったのだった!
 この先は、また次回にお伝えしたい。